早稲田大学の創始者、大隈重信の人生や名言をまとめてみた

こんにちは、現役理系早大生のスケです。

早稲田といえば!!!

大隈重信ですよね。

僕も一応は早稲田の学生の一人なので、大隈重信について、この機会に知っておこうかなと思い、この記事を書いています。

やっぱり、歴史に名前を残すような人物は、皆壮絶な人生を過ごしています。大隈重信もその例外ではありませんでした。

ではいきます!

右足を切断?!

これしってました?

大隈重信が江戸時代に幕府が締結した不平等条約(日米和親条約、日米修好通商条約)を改正に尽力したことは小学校の歴史の授業で習ったと思います。

このとき、不平等条約改正に反対する派閥の来島 恒喜(くるしま つねき)、という人物から、テロを受けたそうです。

なんでも爆弾を投げ込まれたとか。

それで右足を切断しなけらばならなかったんですね。

ちなみに、その右足は、ホルマリン漬けにされて、大隈重信の故郷である佐賀市の大隈家菩提寺の龍泰寺にて安置(保存のための樹脂加工済)されているとのこと。

31歳のときに、英語でイギリスの大使を論破

浦上信徒弾圧事件の際に、イギリス公使のハリー・パークスが「日本の行っている事は野蛮国のすることであり、今すぐ信者を開放し、信教の自由を認めよ」と抗議してきました。

この対応に、英語に堪能な大隈重信が派遣されます。

その頃の大隈はまだ31歳だったので、パークスが激怒して、「大隈ごとき身分の低い小役人とは話はできぬ!」と言い放ちます。

ここで大隈重信、

「一国の代表者である私と話したくないと言うのなら、抗議は全面撤回とみなす。また、あなたの言うことは、国際法で禁止されている内政干渉である」

と引きません。

パークスは日本のことを文明の発達していない野蛮な国だと見下していましたが、そんな日本国の若者政治家から「国際法」、「内政干渉」などの言葉が出てきたことにヒヨる。

大隈重信がたたみかけます。

「ある歴史家は言う、欧州の歴史は戦乱の歴史なりと。またある宗教家は言う、欧州の歴史は即ちキリスト教の歴史なりと。

この二者の言うを要するに、キリスト教の歴史は即ち戦乱の歴史なり。

キリスト教は地に平和を送りし者あらずして剣を送りしものなり。キリスト教が生まれて以来、ローマ法王の時代となり、世に風波を惹起して、欧州の人民を絶えず塗炭の苦に陥らしめたのはこれ何者のせいなり」

要約すると、

欧州の歴史=戦いの歴史であり、欧州の歴史=キリスト教の歴史。よって、キリスト教の歴史=戦いの歴史の図式が成り立つ。

キリスト教のせいで、この世の中は平和にならないんだ。

お前(パークス)は、日本人が野蛮だと考えているだろうが、こちらからすればお前らキリスト教の方がよっぽど野蛮だ。

って言ってるんですね。

これにパークスさん論破されてしまいまして、大隈重信さんかっけえええええーーーーっとなります。

これを機に大隈重信は、政治家としての地位を高めていくことに!

福沢諭吉とバチバチ

福沢諭吉は政治家嫌いで有名で、二人はよく雑誌で討論を交わしていました。

福沢諭吉は大隈重信のことを「生意気な政治家」

大隈重信は福沢諭吉を「お高くとまっている学者」

とお互いがお互いをディスっていました。

ドッキリで、雑誌の編集部が二人を混ぜた飲み会を企画したんですが、お酒が入った二人はどうやら通じるものがあったらしく、

大隈: 福澤先生はうらやましいですね。未来ある若者に囲まれておいでだ

福澤: あなたも学校をおやりになったらどうです

なんてラブラブな会話をするまでに。

この福沢諭吉の会話に触発されて大隈重信は早稲田大学を創設することになります。

っというか、あなたも学校をおやりになったらどうです、で実際に学校を始められるのがすごいっすよねw

暗記の天才?

学生のときに、大隈重信の友達に字の達者なやつがいたらしく、

「こいつに勝負したら負ける」

と思って、書くことをやめたそうです。それからは、ひたすらに口で暗記して、本を出すときも口述筆記で済ませ、どんなときにも文字を書かなかったそうです。

いや、すごすぎる。

太宰治も、走れメロスを口述で筆記したといいますが(しかもアルコールが入った状態)、そんなこと中々できないってw

大隈重信は日本で初めて始球式を行った人物

1908年、11月22日にアメリカの大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部の試合がありました。

このときの始球式が、記録史上最古と言われています。

ピッチャーを務めるのが大隈重信。

彼の放ったボールは、ストライクゾーンから大きくはずれてしまうんすが、ここで早稲田のバッターが、まさか大隈重信第先生が大暴投をしたなんてことにはできないと、わざと空振りをしてストライクにしました。

これ以降、始球式では、バッターが空振りをするのが慣習に。

いや、大隈先生、半端ないです。

そして、このとき機転を利かして空振りをしたバッターの人、超絶ファインプレー。

大隈重信はメロン好き

メロンが大好き大熊先生。

当時、メロンはまだ高級品でした。

これを見かねて、大隈重信大先生は、世間の人が気軽にメロンを食べられるように、新種のメロンを開発します。

品種名を「ワセダ」というそうです。

大隈重信の名言

幾多の失敗を重ねたが、しかし恐縮はせぬ。

失敗はわが師なり、失敗はわが大なる進歩の一部なり。

さすが大隈重信大先生。never give upですね!

 

人間が生きるのは、社会の利益のために存在するということだ。

ただ生きてるのではつまらない。

夏目漱石が「こころ」で、「精神的に向上心のない人間はバカである」なんて書いていますが、それと似たような感じですね。

オスカーワイルドも、「生活するとは、この世でいちばん稀(まれ)なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである」なんて言ってます。

 

学問は脳、仕事は腕、
身を動かすは足である。
しかし、卑しくも大成を期せんには、
先ずこれらすべてを統(す)ぶる
意志の大いなる力がいる
これは勇気である。

脳みそも身体も鍛えないとですね。。。

 

というわけで、早稲田大学の創設者、大隈重信のことをまとめてみました!

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