鏡裕之のゲームシナリオバイブルが思いの外勉強になったので紹介

複雑な経緯があってたまたま出会った「鏡裕之のゲームシナリオバイブル」という本が超絶面白かったのでシェアしようかなと。

通常の課程を経て書籍化されたわけではないので、完全に電子版オンリーで、しかもAmazonでは売ってないと言う。

通常だったら購入手続きの面倒臭さから、見送るところですが、宣伝に心を動かされてポチってしまいました。それと、最近の興味がこの分野にあるということも一因です。

ざっくりまとめていきます!!

小説家、シナリオライターの知識量

小説家、シナリオライター、構成作家、いずれの職業においても、必ず求められるものが膨大な知識量です。本の中では、”高校レベルでは不十分。少なくとも、大学専門レベルまでの深い知識が必要”と書かれています。

最近では、ライトノベルがわんさか出版されており、その多くは異世界ファンタジーものですが、”ファンタジーはあらゆるジャンルの中で最も難しい”と筆者は言います。

なぜか。

例えば、長さを表すメートル、という言葉。メートルは地球と光という2つの存在があって初めて定義されるものです。それを近代文明以前の未発達な科学知識しか持ち得ない、異世界ファンタジーの住民たちが気兼ねなく使うことは物語の雰囲気を壊すことになります。

他にも、じゃがいもは16世紀にスペイン人によってヨーロッパにもたらされたものであり、それ以前の時代にはじゃがいもは認識されていませんでした。ブラジャーも、当然中世のヨーロッパには存在せず、それに一番近いものは”胸当て”になるでしょう。

このように、違う世界を描くということは、時代背景も含めた様々なものの起源や歴史を知らなければできません。このことから、ファンタジーを描ききることは非常に難しいわけですね。

エ◯ゲーの歴史

この本を読んでいて感動したことは、エ◯ゲーの発展が、時代背景やその当時の出来事によるものであり、その歴史についてきわめて合理的な説明ができることです。正確に言うと、僕には合理的な説明のように見えた、ですね。

エ◯ゲーのテキストボリュームインフレーションというのが、2回ありまして、1回めが”Air”、2回めが”Fate stay night”が発売された時。この時期を境にテキストの量が、初期の頃は数百キロバイト(ライトノベル数冊分)から、1〜2メガバイト(ライトノベル10冊分ぐらい)に跳ね上がったわけです。

ただ単純に性欲を発散させるだけという目的から、シナリオ重視、感動モノや緻密な伏線が織り込まれた作品が求められるようになったそうです。

ちなみに僕は、今のところエ◯ゲーを一度もプレイしたことがありません。Fate stay nightはアニメで見てめちゃめちゃ面白いなと思った記憶があるぐらいです。

主人公のキャラクターも時代性を反映しています。

1900年代後半では、日本がちょうど経済成長を続けた時期ということも合って、国民全員に希望がありました。この頃は、ちょっとした不良少年で、荒っぽいところがありながらも、自分の中には一本筋を通しているという主人公像が好まれました。

ですが、やがて日本の景気が停滞し、成長神話が崩壊する時期になると、このままでは自分たちはどうなってしまうのだろう、そう考える未来に希望を持てない若者たちが増えました。

こういう時代には、自分で自分の人生を切り開いていけるような主人公は重すぎました。その結果、どんどん個性や意志を希薄化させた、いわゆる”ヘタレ”、”やれやれ”系主人公が台頭するようになったわけですね。

しかしこれは一概に悪いとも言えず、新しく生まれた主人公像によって、主人公がいるのかいないのかわからないような、そういう視点からのエ◯ゲが誕生していきました。

そして、現代に戻ってくるわけですが、昨今はアニメ・ラノベの制作本数が例を見ないほど増加しており、エ◯ゲもその影響を受けてきました。以前のエ◯ゲでは、主人公の顔というのは、顔にかかるぐらいの長髪やカメラの視点によって隠されていました。

ところがライトノベルでは、主人公の顔が描かれているわけで、それに対応してエ◯ゲでも主人公の顔が明らかになっていきました。

このように、すべての変化や流行が、その時期に起きた出来事によって上手く説明できるというのは面白いですよね!

美少女ゲームは文化の最先端

美少女ゲームクリエイターたちは、人間として最底辺の人達が多い。だからといって、美少女ゲームが文化の最底辺かというと、むしろその逆で、美少女ゲームはアキバ系オタク文化を牽引してきた。

と筆者はこの本の中で述べています。うーんなるほどなぁって唸ってしまうぐらい、深い言葉だと僕は思いました。そして、この言葉が経験則的に理解できます。

僕は最近アニメを見始めました。まだニワカの域を出ませんが、その中でも超ド級の有名作品は抑えてきました。

上でも書いた、Fateシリーズや、シュタインズ・ゲート、まどか☆マギカ、等々。それで、これらのアニメの元は何かってことが気になって調べたわけですが、美少女ゲームから派生したもの、エ◯ゲライターが書いたもの、そういう作品の多さに圧倒されました。

てっきり僕は、アニメが一番最初に来て、それから他のジャンルに派生していったと思っていました。実態はその逆だったわけですね。

こういう経験からも、美少女ゲームは文化のフロントランナーということが身にしみて理解できました。

才能が先か、努力が先か

この本の中では、筆者が彼自身の経歴や、読むに耐えないという当時の作品を例に、シナリオライターの才能とは何かを論じています。詳しい内容は本を購入してもらえればいいんですが(うるっときます)、筆者は作家としての才能があるかを自分にずっと問いかけてきたそうです。

多くの挫折を経て、心が折れそうになったときもあったんでしょう。それでも、諦めずに作品を書き続けた筆者はやがて、業界内でも神ゲーとの評価を受ける作品のシナリオを書いたり、小説をシリーズ物で出すことができたりと、若かりし頃には到底想像もできないような地点に到達しました。

自己研鑽を続ける筆者の言葉はとても熱いですし、具体的です。

それで思ったことがひとつ。

ニワトリが先か、卵が先か、という有名な議論があります。禅問答のような問いかけでもありますが、要は何かというと、生物としてのニワトリは、卵から生まれたのか、それとも進化の延長線上でニワトリが誕生して、そこから卵を生むようになったのか、ということです。

どちらが始めに来たのか、思考の無限ループにハマってしまいます。

で、僕は、才能が先か、努力が先か、という疑問にぶち当たったわけです。この本の筆者は、いわゆる、初めて書いた作品が対象を受賞して華々しい作家生活のスタート、というものとはかけ離れた生活を送ってきたでしょう。では筆者にはシナリオライターの才能が合ったのでしょうか、それとも類まれなる努力の結果、現在の姿があるのでしょうか。答は誰にもわかりません。

もしかすると、努力の結果、もともと持っていた才能が開花したのかもしれませんし、才能があったから努力し続けられたのかもしれない。つまり、ウダウダとこんなことをいつまでも考えるのは無意味なのでしょうね。

そんなことする暇があるならなんかしろ、と。これからの人生を歩む上での指針となりそうです。

 

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