マンガ・アニメが教養になる時代がやってくる

今回はちょっと、前々から頭に浮かんでいた気づきについて書こうかなと思います。

タイトルにもある通り、これからの日本においては、マンガ・アニメの重要性が非常に増してくるのではないかと予測します。

その理由が幾つかあるので、順に説明していこうかなと

優れた作品が累積していく

例えば、受験勉強でやる古典と比較してみましょう。古典というのは、昔の人々が著述した本なわけですが、新しい古典というのは存在しません。もちろん、今の時代に書かれた本が、未来において古典扱いされることもあるでしょうが、基本的には、言葉が圧倒的にちがうので、まあ違うジャンルに入るでしょう。

それで、マンガ・アニメについてなんですが、このジャンルは作品の古典化が他に比べて段違いに早いです。10年、20年もすれば、作品によっては伝説的なものになる場合もある。僕はドラゴンボール世代ではないですが、ドラゴンボールの影響力は身にしみて理解しているつもりです。古典と呼ばれるものは、現時点から過去に遡って、何千、何万と存在する中から、ほんの一握りの超A級だけで、単に古いから古典になるわけではありません。

新陳代謝のペースが激しいこの業界においては、今隆盛を極めている、”キングダム””約束のネバーランド”はすぐに、デスノートやスラムダンクと言った作品たちと同一視されるでしょう。

 

国民的名シーン大量生産メディア

「親父にもぶたれたこと無いのに!!」

「お前はもう、死んでいる…」

「俺は、海賊王になるっっっっっ!!!!!」

「諦めたら、そこで試合終了ですよ…?」

 

いずれも劣るともまさらぬ、横綱級の名シーンではないでしょうか。まぶたを閉じれば、その光景が浮かんできそうです。

何が言いたいかというと、僕たち、日本で育ったきた子どもたちは、マンガ・アニメについて、膨大な知識量を持っているということです。それも、自分では気づかないうちに。上で例を挙げた4シーンは、マンガやアニメを全然知らないよ、という人でもおそらく知っているはず、というか知らなかったら非国民では無いでしょうか。

そして、次に言うことが大事なんですけど、これらの有名なシーンは、色々な場所でパロディーとして、または引用されまくるということです。特にネットの世界では顕著ですが、マンガやアニメが元ネタの文章が本当に多いです。

ネタブログとかの場合も本当にそう。

つまり、これらを知らない場合、相手との文脈が共有できていないわけで、相手の言いたいことが理解できないということが起こりうるわけですね。多分、日本語を勉強している外国人が越えられない壁はここになるでしょう。僕たち日本国民が、呼吸をするように、読んで見て友達と語り合ってきたマンガやアニメに対する凄まじい知識量は、一朝一夕で獲得できるものではありません。

 

そのお手軽さが、本に取って代わって学習教材となる

僕は小学生の時から、マンガで得た知識によって、実際にクラスでひとりだけ先生の質問に答えられたり、テストで得点をしたりということがありました。いつも、クラスメイトから’なんでそんなこと知ってるんだ’的な視線をぶつけられるたびに、「いや、マンガでよんだから」と正直に答えていました。

そんなときはまだ気づいていませんでしたが、最近になってようやく、「マンガ(アニメ)というのは、多くの知識を知らぬ間に吸収できる最高のツールである。それも、その作品が優れたものであればあるほど、吸収効果は高い」

という、めちゃくちゃ重要なことを発見したのでした。僕の体験談を語ると、フィトンチッドやドラミング、オートファジー、マイノリティ効果について初めて知ったのは、トリコを読んでいたときでした。

某という漢字の読み方や、フェルマーの最終定理のことを知ったのは、金色のガッシュベル!!がきっかけです。

アーサー王伝説について理解が深まったのはFateを見てからですし、エヴァンゲリオンは旧約、新約聖書を骨子とした、とても複雑なストーリーです。

マンガやアニメは教育に良くない!!と言う保護者の方がたまにいますが、そういう人たちは、日本独自のこれほど豊かな文化を今まで享受できないでいた貧しい人たちなんだな、と僕は思います。

もっともっと書きたいことがある気がするが、冗長になるのをさけるためにここで終わります。

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